Author:KOJI MUROYA
2012年10月、念願だったIronman World Championshipに出場しました。
”生涯あのステージに何度立つことが出来るか?”
私のチャレンジは続きます。!!
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では後編
前編はこちら
http://km508145mk.blog.fc2.com/blog-entry-5262.html
この前編で綴った様に、徐々に負荷を与えていく事で失われた機能が回復していくと確信したのである。
□IRONMAN70.3厦門を終え2週間後からは
zone2.3 70%
zone4 25%
zone5 5%
でメニューを組み短時間高負荷トレを採用していく。同時に筋トレも再開。
この頃ゾーン5で練習しても最大心拍数は165bpmが精一杯だった。
□術後6ヵ月で(胸の上部と首回りのつまり感は続いてる。 ただひどくなる時間帯はきまって夕方)
*平常心拍60bpm前後
□術後6ヵ月検診を予定していたが担当医の激務で予約が取れず断念。
改善方向に向かっているので静観とした。
*術後7カ月10kmロードレース(マラソン)に出場 キロ4分10秒ペースで41分40秒という結果に
*術後4カ月時の走力と比較すると明らかに機能が向上している事が体感出来た。
*最大心拍数は170bpmを上回る数値が出始めたころでもある。
□術後8カ月ハーフマラソンに出場。アップダウンの激しいコースレイアウトだったが4分19秒/kmペースで完走
*レース中幾度か期外収縮を感じ、苦しくなった場面もあったが、1時間30分で完走出来た事でより自信がつく
□5日間休養後、短時間高負荷トレと筋トレを再開。
*次月のIRONMAN70.2台湾に向けて更に練習に取り組む
□術後9カ月でIRONMAN70.3台湾に出場。
結果はラストラン5分9秒ペースだったが、最後まで走り通せた事が何より嬉しかった。
*このレース後から更に身体の変化を感じる。胸の常備と首の痛みが殆どなくなったのである。
□その後5日間の休養後、短期合宿を実施。2日間でバイク250km ラン5km スイム2500mを行う。
*この合宿を終えて2日間の休養後、トレイルランを実施。
*この時、心臓に負荷を与えても期外収縮の自覚が少なくなっている事に気づく。
□そして一昨日の10kmロードレースで3分57秒ペースで走る事が出来た。
*間違いなく期外収縮を自覚する場面が少なくなっていると感じている。
*平常心拍は53bpm程度まで下がってきている。
5年もの間、騙し騙し付き合ってきた不整脈で心房粗動と心房細動の2つは除去出来たものの、期外収縮は起源が散発するため取れ切れていでない。
でも手術を受けて本当に良かったと思っている。
2016KONAが終わってから苦しみ続けてきた16ヵ月間。
トライアスロン歴17年目の中で16ヵ月は長かったが、これから16カ月の空白を少しづつ埋めていこうと思う。
最後まで読んで頂きありがとうございました。1クリ是非お願いします。
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現在の心臓の動きも特に問題なく、また期外収縮を自覚する頻度が
完全復活(どこまでを完全復活というかもあるが)
までまだまだ時間はかかりそうだが、間違いなく心臓の機能は回復に向かっている。
そこで2度目の手術からもうすぐ10ヶ月を迎えるので、
不整脈について興味ない方はスルーしてください。
□2017年6月7日2度目の手術を実施
*赤丸が2度の手術で焼灼した部位
□術後2週間程度は心臓の動きが不安定で3度目の手術も視野に入れる。
□術後2週間以降、徐々に安定し始め軽めのジョギングを再開
術後2週間でリクシアナという抗凝固剤が終わる。(ワーファリンよりも副作用の少ないタイプ)
□肩、首回り、胸の上部に痛みを感じる事が多くなる。
( 肺静脈、上大静脈の広範囲に渡る焼灼の後遺症か?)
*赤丸の部分、術後半年は「つまり感」や「鈍痛」みたいなものが続いていた。
□術後1ヵ月検診
(担当医にこれまでの経過を伝えるも「運動負荷を高めどうなるか確認しよう」との見解)
□術後2か月を経過しても期外収縮は常に頻繁に発生。
(但し普段の生活レベルでは発生しなくなる)
□術後2か月程度から徐々に練習で心臓に負荷を与えていく。
(120bpmを超えると期外収縮を常に自覚し、負荷を上げるのがしんどくなる)
□術後3ヵ月で120bpm程度の負荷では期外収縮が減った感が出てきた。
*但し130bpm以上になると自覚。
*同時に負荷を与えた時、肩周りは解消されたが胸上部と首辺りの痛みは解消されず。
*キロ4分30秒で5km走れるようになる。
□術後3ヵ月検診(少し容態の変化が表れたものの期外収縮が頻繁と最大心拍が165bpmを超えないと伝える
しかし担当医は「引き続き負荷を上げた練習を実施して様子見しよう」との見解)
□術後4カ月:キロ4分15秒で3km走れるようになる。
その後同じスピードで5km走れる(但し、首回りの違和感は解消されず)
□術後5カ月でIRONMAN70.3厦門に出場
ランは2時間近くかかるも5時間8分で完走(レース期外収縮が頻繁に出て乳酸が蓄積するのを自覚する)
□このレース後1週間の休養を取り練習再開。
(140bpm前後mで負荷を与えても期外収縮の発生頻度が減った感を覚える)
(但し胸上部と首辺りの痛みは解消されず)
2度目の手術から5カ月間を端的に纏めてみたが、この間での取り組みの方向性は間違ってなかったと思っている。
それは広範囲に渡る焼灼(やけど)で心臓の機能が低下したが、
早い段階から徐々に心臓に負荷を与え、機能回復を狙っていった事である。
担当医からは「負荷を与えてみてどうなるかは僕にも分からないが、是非前向きにやってみてほしい」
と言われていた。
僕は担当医を信じて行動に移していったという事だ。
後編に続く。