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にほんブログ村さて、今日はレースレポート完結編の予定です。


痙攣した指先はバルタン星人の様になったままメインストリートを駆け抜けていきます。
ここで、コーチやバカボン君が

「志垣プロ(チームフィオーレスペシャル)と30秒差」を告げてくれます。

ここで「志垣プロの凄さ」をご紹介します。


トライアスロンをWikipediaで調べてみましょう!

以下本文抜粋


triathlonは、ギリシャ語で数字の「3」を意味する接頭辞tri- と、「競技」を意味するathlon が合わさった言葉で、日本語直訳では「三種競技」となるが、一般には英語発音にならって「トライアスロン」と呼ばれる。
中略
歴史 [編集]
1977年、ハワイのアメリカ海兵隊員達が宴会の席で、「マラソン、遠泳、サイクルロードレースのどれが最も過酷か」と議論。競技特性が全て違うのだから比較のしようがなく、「この際まとめてやってみよう」という事で考え出された。翌1978年に、ハワイで最初の主要な大会であるアイアンマン・トライアスロンが行われた。このレースは競技制限時間が17時間に渡る過酷なものであり、鉄人レースとしても知られている。現在では世界各地で多数のアイアンマン大会が、ハワイ島で行われる世界選手権の予選として開催されている。
中略
1998年(平成10年)9月5日、アジアで初めて国際トライアスロン連合 (ITU) のロングディスタンス・トライアスロン世界選手権が開催された。世界の主要プロ選手がそろったこの時の世界選手権で、志垣めぐみが、日本人として初めてメダル(3位)を獲得した。
ということで
Wikipediaにも掲載される超有名人なのです。

彼女もチームフィオーレの一員。双子の姉妹でーす。

宮古島でも2度優勝しています。
ロングだけでなくショートでも永く日本代表選手として活躍されました。
いや
今もプロとして活躍されています。

彼女はこの大会前に常滑のハーフアイアンマンに出場。
バイク終了時点でぶっちぎりの1位通過でしたが、怪我のため全く走ってなかったランを3kmで辞めてリタイヤしています。
なのでこの大会も万全の体制で挑んでなかったのです。

では
レースレポートに戻りますね。

「フ フ フ 」

バルタン星人化した私はポテンシャル以上の領域で走っているのでチームメートにうなずくだけで精一杯

1周2.5kmのコースは適度なアップダウンがあり、クロスカントリー並みで苛めてくれます。
20kmのバイクのレポートでは省略してましたが、ただ我武者羅に前を追いそして徐々に
強くなってきた向い風の影響もあって足の疲労もピークに達してました。

なので
最初の丘を登っている途中でふくらはぎにまたまた痙攣が、、

それも両足!

泣きそうになりながら丘を上がりきると、滋賀からの応援隊、はま〜が声をかけてくれました。

はま〜ちゃん嬉しかったよ〜

ありがとう!!


その後下りで脱力したら、痙攣も治まり徐々に自分のペースが掴めてる様になってきました。

腰もってくれよ

そうつぶやきながら必死のパッチで前を追いかけます。

1km地点辺りで前の志○プロの背中が大きくなってきているのが確認できました。
よしいけるぞ!

万全の体調でないにも関わらずここまで走る志垣プロは凄いなぁ

とまたまたつぶやきながら
「ファイトです」と言って前に出ました。

が
しかし

更に大きな足音が背後から迫ってきていたのでーーす。


つづきはまた明日。


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